あるかん=のうないいる/いないではなくあるかん

私達、ホモ・サピエンスはつねに脳が触覚を算出していると勘違いしているが触覚は脳なしでも自立して第一次反応を起こす。その反応の一例が鳥肌である。寒いと言葉が出る前にすでに皮膚には鳥肌が立っている。つまり寒いか寒くないか言葉を二分割し判断する以前に触覚は毛穴を逆立て体温を下げないように身体を守ろうとする仕組みなのである。さらには妊婦の例をとると彼女らの脳内の判断や選択または情動により胎児が子宮内で育成されていくわけではない、この科学的事実から類推していくと、あくまでも母体の触覚の知性と胎児の触覚の知性が交信し合って胎児はへその緒から輸液により成長をスクスク遂げていくことが推理できます。この頭で考える以前の原初的な触覚知性を積極的に機能させる事を宇宙海賊団では『ある勘』を働かせると呼んでいる。あらゆる森羅万象の結果の内にある内的秩序への反応とも言える『ある勘』は思考を介さず情報交信するテレパシー言語でもあり、いるいない善悪陰陽上下などの脳内言語処理では捉えることの出来ない《サワルではなく触れる》ゆらぎ=回転情報に共感共鳴する美的感性とも言える。まさに考えないで野性的勘を用いた認知とも言えるものです。このある勘を発動させにくくさせているものが恐怖であり脳海馬的な自己保存欲求でもある。この無意識な自己保存欲求ゆえに私達は常に脳内のいるいないの上下対立同一化内部内省第2カメラなどの仮想認知世界に拘束され続ける。この目耳鼻口のいるいない恐怖のマトリックス『四次元立方体』を閉じ前頭葉をニュートラルにする体育こそ下腹重心体育であり蹲踞である。蹲踞にて重心が肚の奥の丹田に整えば整うほど『ある勘』は良く働くようになり、目耳鼻口の自己保存に囚われないテレパシックな人体へと更新していく。