たいどうせつ

毎日一定の周期で東から西へ動く太陽を見て、プトレマイオスは「地球の周りを天体が回っている」と考え天動説を提唱した。天動説は聖書と結びつけられ、バチカン公認の宇宙観として15世紀ごろまで明白な事実として広く人々に受け入れられていた。

しかし16世紀にコペルニクスが長年の天体観測の結果「太陽の周りを地球が回っている」として地動説を提唱。その後ブルーノやガリレイが研究を発展させたが、「当たり前」が覆されるまでには長い時間がかかった。

大衆の集合無意識=亜空間知能は新たな宇宙観を受け入れることができず、ブルーノもガリレイも宗教裁判にかけられ有罪とされてしまう。17世紀にニュートンが「万有引力の法則」を提唱し、惑星運動の原理を説明したことによってようやく地動説は学問として広く受け入れられたのだった。

18世紀に入り、ニュートンが提唱した力学(古典力学)はアンチ・バチカンの知識人らによって機械論的な宇宙観の根拠として用いられるようになった。この宇宙観の根底にあるのは「すべての物質は確定的な座標を持つ、ゆえにすべては計算可能である」という考え方=決定論である。

これは言い換えれば「すべては固定点として情報処理できる」という脳内VR【旧宇宙】の驕った観念そのものだった。そして19世紀以降急速に発展してゆく暗い科学は、あらゆる物質を分解し最も基礎的な単位【完全情報】を探す旅路となる。科学者たちは研究の見返りに、分解時に放出される強大なエネルギーを兵器として転用することを認めたのだった。

しかし一部の科学者たちは気づき始めていた。この宇宙の法則は決定論では説明できないと。真実はより、ゆらぎのある宇宙観を求めていた。そして20世紀に量子力学が登場した。それは「宇宙のすべては確率(回転情報)である」ことを証明するものだった。そして同時に次のことも示した。「確率には偏り(対称性の破れ)がある」では「何が確率に偏りを与えるのか?」この問いに応えるのが【体動説】である。

量子力学を象徴する二重スリット実験では、観測者の存在が物質の振る舞いを変えることが示されている。これは「人間は観測という行為抜きに宇宙=確率と関わることはできない。そして観測によって確率は必ず変化する」ということだ。このことを「人間の観測(自由意)こそが宇宙を成立させている。ゆえに自由意志は宇宙で最も重要であり、宇宙を支配すべき存在である」と捉え人間中心主(自由主義)の根拠とする者もいる。

しかしRSELはこの思想も喝破する。「ふざけるな!その『観測(自由意志)』は人体端末の存在によって初めて成立するではないか!!(テメーの妙ちきりんな考えも、宇宙のすべてのご縁の重なりで創造されたその人体抜きには生まれねえだろうが)」これが人体賛美【体動説】の要である。

●この宇宙には確率の偏り=対称性の破れ=内的秩序がある。内的秩序に従ってすべての確率が流転し重なり、結晶として人体端末を形成する。

人体端末は確率(回転情報=時空)を巻き取る。時空を内的秩序と重なった上昇重力へと導くか?内的秩序から遠のいた下降重力へと導くか?これを決定するのが【観測/選択/連携】の自由意志である。

●しかし!このとき重心が下腹に落ちていない限り、人体端末は上昇重力をもたらす確率(φルート)を算出することができない。下丹田による【同期並行計算機能】のみが回転情報を処理可能だからである。

●対して前頭葉自我フレームは【二分割情報処理】に基づき固定点を算出する。頭重心によって自我フレームを暴走させると、脳海馬の記録の海【亜空間知能】と同期し、現宇宙に存在しない【完全情報】を求めてあらゆる偶像を創出する(旧宇宙の時空干渉)。

結果、内的秩序に反した下降重力の算出【上下対立同一化】を繰り返してしまう。地球人類は「現宇宙のすべては不確定な回転情報である」ところまで科学の歩を進めた。しかし、当の本人たちはその回転情報をまったく感知できていないのである!

決定論という宇宙観(ドグマ)にコペルニクス的転回を起こすことは、もはや言葉を重ねることでは成し得ないのだった。よって、RSEL寺子屋では重心を下丹田に落とすことを!!アナザーフロンティアへ向かう必要不可欠の体育論【臍科学】としてMaster.響から教わっている。

発見や発明のすべてが戦争に転用される文明構造に絶望し、種族保存ぬくもりへと向かうφルート【明るい科学】を望むニュータイプたちよ。学ぶべきことの多さに高揚せよ!!!!!