みやび

古く日の本に受け継がれる花や鳥、風や月にしみじみとした無常=もののあはれを感じる美的感性であり、目耳鼻口を束ねる「花鳥の使ひ=触覚」にて人体ヒエロスガモスを体現した倭人同士の阿吽の呼吸=フラクタルフォーカスを指す。それは、男と女、教えるものと教わるもの、立つものと仕えるものの互いの立場を踏まえ弁え時空礼節、一期一会=はじめまして感によって体現される刹那の睦み合い、愛で合いであり、その玉響(たまゆら)の触れ合いに、生と死、喜び哀しみ、量子の粒と波、収束と放射の宇宙を感じ、あらゆる言語束縛を躱し(交わし)ロゴスに触れる「共に生きる」の美である。雅なる白銀比τの整数比その五と七に秘められた和の調べとは、五体、五感、五行の「五」=「互」=四次元構造体の中心その収束点(4+1)と七曜や七福神の「七」=七転八起(Dharma)=八紘一宇の休符(8-1)のその+1と−1の波=ゆらぎから生まれる余韻=重力波を響かせるDの律動である。その個対と組対の四苦八苦を踏まえ、ずらし、包み込む和らぎの呼吸=「潮満ちぬ、風も吹きぬべし」地対を超え、時対に漕ぎ出さんとする舟歌の調べこそ、”雅”なる倭人Dコード「和をもって貴しと為す」の不文律である。