でぃーめいじ

幕末期我が国、日本は西洋傀儡の長州Fiveなども含め天皇家にもすでにフリーメソンを仲介とした反Dcode のバビロニズムの魔の手が侵食し始めそこで考案されたのが幕府ではなく明治国家政府というものだ。この近代日本国家の礎は、あのイルミナティのロスチャイルド、ロックフェラーの息のかかった血気盛んな日本の長州の若者たちをたぶらかして造られた。あの高位フリーメーソンのグラバーの手引きによりイギリスに密航し留学した長州藩のこの5人の若者たちは「長州ファイブ」または『マセソンボイーズ』と呼ばれた。というのも、の価値で10億円とも推測される彼らの留学費用の大部分を負担したのはグラバーの勤めるマセソン商会の社長ヒュー・マセソンその人だったからである。さらにヒューマセソンの上には、イルミナティの世界一の金融王ネイサン・ロスチャイルドの息子であるライオネル・ロスチャイルドがボスにいた。ライオネルやマセソンにかわいがってもらった5人の若者たちはキチンと左目思想を仕込んだ立派なフリーメイソンとなり、日本に帰り、明治新政府ができたのち、日本の最高指導者となる。つまりロスチャイルド家の当主の子分であった野心家の若者たちによって明治の日本が下克上で造られていったのである。以下「長州ファイブ」または「マセソンボーイズ」のメンバー名簿⇨伊藤博文(政治:内閣総理大臣)井上聞多(外交:外務大臣)山尾傭三(工業)野村弥吉(鉄道)遠藤謹助(造幣:造幣局長)そして、彼らとグラバーを繋げた最大の功労者が坂本龍馬とも言える。その目的は植民地政策なる資本主交易を拒む徳川幕府独裁を転覆させるという大のもと極東の近代経済利権の狡猾な操縦策謀がすでに練られていて、徳川家や天皇含め各財閥がもつ大量の黄金をのちに計画している世界大戦にて引き出しせしめるシナリオであった。この幕末から明治維新にかけて、日本の背後では、イギリスが薩長倒幕勢力を通じて南方からの日本支配をもくろんでおり、フランスは幕府を通じて日本の支配をもくろんでいたのである。またさらにその上には、それぞれ英・ロスチャイルド家と仏・ロスチャイルド家の存在があった。これを踏まえて戊辰戦争を振り返って見ると、次のようになる。イルミナティの英のロスチャイルド家と仏のロスチャイルド家が二手に別れ、薩長倒幕勢力と江戸幕府の両方を資金と武器で支援する。その後、両者を戦わせて、どちらが勝っても支配権と利益を手に入れるのである。さらにこの後、明治政府を作らせた後に今度は、外国と戦わせる。それが日露戦争である。これにより欧米天竜人のシナリオ通り歴史はまさに動き、我々日本人は原爆実験のイエローモンキーとしてやがて扱われる悲しい世界線を辿る。明治維新は文明開化という大義名分を元に今の近代化された我々が知る皇室の英ポン化や庶民のアメポン化の出発点でもある歴史的出来事だった。これを裏から支え続けたのが伊藤博文から始まった近代政治の利権派閥『田布施システム』だった。この欧米の植民地政策の色の強い者に巻かれた田舎侍の田布施出身の傀儡らの、胡散臭い米英かぶれの暗い科学の広告により、徐々に礼節を踏まえていた倭国のファッションが変わり、考え方、政治、経済、法律、宗教にいたるまで、すべてが近代化の名のもと塗り潰された。日本人の美学の根幹を成していた【雅さ/御上と家臣/師と弟子】その寺子屋文化が潰され、徒手療法や霊術や東洋医術が西洋医学利権にて強く規制され、がらっと一気に日本は暗い科学に傾倒する無礼で狡猾な個人主義的な、品位のない欧米化へと良くも悪くも憧れ奔走していった。しかしそもそも幕末に来日した外国人は、小間使いの女性のような階級でも、読み書きをしていることに驚いています。当時、日本の識字率は、世界的に見ても高かったのです。これはひとえに寺子屋教育の賜物でした。地方はまた別でしょうが、都市部は庶民でも読み書きができ、そのためメディアである「瓦版」も流行していたのです。そして重要な歴史理解は江戸の庶民は幕府を応援していたという事実です。一方、江戸の瓦版では傾向が違います。諷刺画にせよ、ハッキリと幕府を応援する傾向が出てきます。徳川慶喜が厭戦傾向だとわかると、彼らは会津藩や庄内藩を応援するようになっていきました。江戸っ子たちは、新政府軍をまったく歓迎していません。「江戸はおはぎ(萩=長州)とおいも(=薩摩)にしてやられた」と悔しがっていたのです。彼らにすれば、将軍様のお膝元で好き勝手する田舎侍という認識でして、江戸城の無血開城前夜に、「薩摩御用盗」と呼ばれる暴漢が江戸の各地で凶悪事件を起こしていました。その後、江戸に乗り込んで来た新政府軍は、些細なことで江戸っ子を斬り殺します。たとえば……。官軍の肩についていた『肩章』を剥ぎ取っていた男がいました。しかし啖呵を切って、その新政府軍は惨殺され、江戸っ子は官軍に惜しみない拍手喝采を送りました。わけのわからん権威(反D)を笠に着て威張り散らす彼らの胡散臭さを、江戸っ子は寺子屋で学んだ教養による洞察にて、彼ら自身を手放しで歓迎しなかったのです。そのストレスのはけ口が、瓦版でしたしさらに寺子屋で学ぶ欧米情勢についての多角的な学習でした。このようにそもそも全国規模でこの反D明治、欧米天竜人の傀儡や子分は歓迎されていなかったのです。突如、権力を握り、横暴な振る舞いをする「おはぎとおいも」。明治時代は「薩長の人にあらざれば、人間にあらざる者の如し」と嘆く人が出るほど、極端な藩閥政治がまかり通りました。庶民の実感、江戸っ子の実感からすれば、明治維新とはそういう胡散臭いもの。田舎侍が好き勝手するという、そういうテロ的な印象であったにすぎなかったのです。「上からは明治だなどというけれど、治明(おさまるめい)と下からは読む」この狂歌からは、江戸っ子の新政府への反発が読み取れます。何が維新だ、ふざけんな、という思いに溢れていますね。幕末史を語るうえで、庶民目線の考え方や寺子屋のありかたはあまり重要視されてません。それもそのはず我々が633教育で教わった幕末史は反Dの傀儡『戊辰戦争』の真の勝者(欧米天竜人)の視点でしか書かれていないからです。しかし真実は【そもそも全国規模で歓迎されてなどいなかったそればかりか、東日本では反発された】という真実です。彼ら田布施の傀儡らが反Dによって洗脳を仕掛けられ、そして明治政府を通じて実践していったプロパガンダは”『新時代』「近代」と、時代が進むことがより「正義」に近づくことだと錯覚させること。平成の世に暮らす我々がもう一度日本人として自問自答しなくてはならないのは「近代」と「西欧文明」を、礼節のある御上と家臣に護られていた「倭国的な幸せ観=江戸風情」に照らして日本人として多角的に位置づけているか?そして「百年後の我々が住む近代」は「百年前の逝し世の近世」より軍事兵器の発達度合いだけで、本当に文明度の高い時代だと断言できるものなのか?今、平成アメポンの私たちは、長州・薩摩政権の書いた歴史を物差しとして時間軸を引いた世界線を無知に生きている。そもそもこの物差しが狂っていることに寺子屋崩壊の100年後の世界線を生きている平成倭国の我々は、いい加減に気づくべきであろう。”その目印こそがD明治である。勝海舟や山岡鉄舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれる方々や吉田松陰先生など幕末のカオスの渦から逃げずに激しく自己対話した公人堅守の礼節美を極めた闊達なシャムライたち。義を護る明治人の生き様から学ぶ事をRSELではD明治と敬意を評し呼んでいる。それはもちろん士らだけではなく、当時の町娘や小間使いらが寺子屋で学ぶ凛とした知性溢れる撫子の姿や、はんなりとたおやかな所作と静かな振る舞い、洗練された粋なお着物や羽織り、さらに欧米男女にはない、礼節ある慧露巣を秘めた色心を嗜んでいた明治の芯のある漢と女の群れが、黒船来航を冷ややかに達観し、田舎侍の野蛮な薩長らが胡散臭く吠えるなか、激動の幕末では悠々と毅然と…瓦版や寺子屋で学ぶ逝し世の面影が多くあった…彼らは欧米天竜人が思うほど無知でも野蛮でもなく、遥かに文化や歴史、政治、商い、生活の科学にまで教養が深く及んでいた文明人であった。この日本の失われた1世紀の歴史観をRSELではD code明治観略してD明治と呼んでいる。