でしゃんばら(でしゃばりのすむばしょ)

デシャンバラとはあの星間文明の比喩でもある伝説の恒久平和都市=あのシャンバラとは対極にある住処の暗喩である。その住処は亜空間にあり実はでしゃばりをもつ者しかもう暮らしていない。デシャンバラの住人の特徴は外反母趾や浮き指、爪はね足首の硬さが身体的には目立つもの達である。

彼らは自分が何者かになれるという自己愛の正当化に忙しく人一倍劣等感優越感を抱きやすい頭重心をしている。それゆえ人に褒められることや貶される事に反応しやすく、常時過剰ポテンシャルになっている。

その結果、常に何かの保証や安心となる依存すべき対象を静電気的にも経済的にも吸血したいの幼児願望の触覚要求が暴走してしまい『背景無視』を起こし、縁起のない人からの讃辞を不用意に自撮りし背景なく要求する、不気味なオシャおじオシャおばと次第に化していく傾向にある。

彼らの口グセは君はonly oneの世界に一つだけの花だよと…奇妙に何の根拠もなく若者たちの自己重要性をやたら褒める言い草にこそある。これこそ、まさにデシャンバラの住人である。彼らはもう、そのでしゃばり故にありのままにもなれない空性の自因自果を教われる器を失くしている。

その凄まじい自己解釈と自論の主主張のオンパレードとなっていて、それを第六感と都合よく呼んだり、またスピリチュアルエネルギーがうんぬんかんぬんと再現性の低いことを現世利益と繋げ、昔の自分と重なる彷徨い人たちを搾取する以外に段々と生き甲斐がなくなってしまう。

そんな怖い世界線=盲人が盲人を導き閉じ込め共喰いする低次のウロボロス。これがデシャンバラという亜空間王国の仕組みである。

このデシャンバラでは真摯に教わる習慣よりも、マイスタイルその日の気分を優先し、地味な基本を下積む束縛の習慣よりも、飛び級あわよくばを狙う自由のランダム性を優先する。その結果、逆にどんどんとデシャンバラの住民は不自由になり次第に背景を失い、記憶を失い、叡智を失い、信用創造を失うのである。

このデシャンバラの住民はみな人体所有感が強く、体の所作に自我の居る感が、想像以上にやはりべったりとくっついていて、下腹重心教育においてもついつい超人願望が強く出てしまい、蹲踞BFD体育においても無心になってただ型を死守する…そんな謙虚な実践が出来ない者が多い。

このデシャンバラからの脱獄法、それは結局負け惜しみではなくひれ伏しが必要である。三絶望虚と言われる高潔な自己重要性への諦観への取り組みがいる。そして何よりも概念操作や方法論より重心論が結果的にモノを言う。よってデシャンバラの住人は何よりキチンと負けりゃいいじゃんが必須となるわけである。

さぁデシャンバラの民よ!言葉を被せつべこべ言い訳せず、Dの叡智の威光に負けを認め、滅私奉公、いざ叡智の縛解一如へ、守破離の学習で真摯に美しき習慣にすべし!!!