げんき

RSELで語られる元気とは巷で語られる前向きな明るさといった浅はかな元気さとは一線を画す意味がある。

それは十整球円中整丹整見整勢整想観測者効果が回転する事によって始めて生じる亀のヘキサグラムの力、どんな困難も必ず克服できるとカールルイス的に信じるを信じれる胆力とも言える。

それはどんなにイヤな人生場面に遭遇しようと『この状況は必ず解決できる︎︎︎という』先へ先へと拓く感性。可能性の光をねだらず勝ち取る、安定供給なマスタリー行動を進められる気合い。そんな基本的善良さと自由要求でもあり、未来へのブレない文明創造向とも言える意識低い系が、RSELで使用される元気という言葉の意味である。

その元気さは肚の据わった長い時間同期や5層対自因自果の観測幅の拡張が、やはりモノを言うのであって、安易なアファメーションや前向きな自己啓発で得る元気さは、RSELで説かれている元気さとは全く反対のものだと教わる。

自分という個人主的な自己実現の完全情報化のために、自分の心や魂、マイストーリーという偶像を愛し、その心を癒し、その渇いた自己重要性を得ようとする浅ましい態度の元気さは長続きせず、 躁鬱の躁のような虚無感のある無意味な幼児願望な元気さや、勝手な多幸感こそ…このような元気間違いした自分探しちゃんなる意識高い系の奇妙な表情である。

真の元気さはそんなもんじゃない!自己重要性その重心を脳にではなく蹲踞にて下腹に下げることで始めて機能するのが本物の元気。何か理想を手にしたから元気になる訳でもなく、期待外れて傷ついた心とやらが癒されたから元気がでる訳でもない。ただ目の前の人体の姿勢が、その重心が司る触覚静電気が、蹲踞にてφポイントである⇨丹田にただ整うからこそ…内的秩序の回転原理を察し、2念をつがずに、この二極性の状況は、必ずアウフヘーベンされると肚から落ち着いて確信できる。

RSELではこの体動説における下腹重心の原理原則のことを『元気』と呼んでいるに過ぎない。まさに元気があれば何でもできる!マジすかそうすっかの確かな真実なのだ。

この時空はやはり天行健で成り立っていた…いやはや天晴れ天晴れ天晴れじゃぁのぉぉ。これぞ元気MAXの臍じるし!!!!日本晴れというテントウムシじゃぁあああ!

こうやって元気をいつも臍に刻んでおくんじゃよ。いいか、おまえさんら宇宙に旅立つGreen Boysよ元気があれば何でもできる。必ず出来るから︎とりあえず蹲踞して元気出せよ︎︎